【新・関西笑談】ワイナリーのジャンヌ・ダルク(4)(産経新聞)

 □ワイン醸造士 渡辺佳津子さん

 ■始まりは、楽しそうな父の晩酌姿 もっと深みにはまりたくて仏に留学。

 −−ワインを作りたいというのは子供のころからの夢だったんですか

 渡辺 お酒には興味はあったんだと思います。父親がとてもお酒の好きな人だったので…。

 −−おうちが酒屋さんとかではないですね

 渡辺 ええ、ごく普通の家庭です。ただ、父親が飲んでいるのがとても楽しそうに見えたんですね。毎晩、晩酌して、親戚(しんせき)も集まれば、わいわいと飲む光景が、とても好印象だったのかもしれません。

 −−大学は農学部の醸造学科を選ばれたわけですけど、まったく迷わずに

 渡辺 あまり迷わなかったですね。お酒とか、発酵食品とか、食べ物にすごく興味がありまして。

 −−学生時代にカクテルの大会に出たそうですね

 渡辺 所属していた研究室に、酒造メーカーが新商品のスパークリングワインを持って来られて、それを使ったカクテルを紹介したかったんですかね、学生たちでカクテルの大会を開いてほしいということで。身内だけの小さな大会で優勝しました。そのときの景品で、教授からいただいたワインがすごくおいしかったんです。その時の味は今も覚えています。

 −−それが、この道に進むきっかけの一つですか

 渡辺 そういうのが、頭のどこかであったと思います。

 −−就職活動は酒造メーカー中心に

 渡辺 はい。でも、当時はまだ現場に女性を受け入れてもらえる雰囲気はありませんでした。今でこそ女性の醸造家は多くなっていますが。ことごとく断られまして。でも、運良くここ(神戸みのりの公社)に拾ってもらえて。

 −−就職後、最初から醸造部門ですか

 渡辺 最初は品質管理の仕事でした。女性なので重い物を持てない、危ないとか、体力面で考慮していただいたようです。でも、少し一歩引いた所からワイン作りを見るポジションにいたので、もうちょっと深みにはまっていきたいな、という思いがありました。

 −−そこでフランス留学につながるんですね

 渡辺 ワイン作りを始めてから、すぐ壁にぶち当たってしまい、小さな疑問が出始めてきたとき「フランスに勉強に行きたい」と上司に伝えたんです。でも、そのときはまだ入社1年目くらいだったので「早すぎる」と。

 −−入社1年やそこらの新人に「うん」とはいえないでしょう

 渡辺 今行っても消化できないし、理解に苦しむんじゃないか、もう少し(日本で)勉強してから、もっとワイン作りがわかってから行ってもいいんじゃないか−。今考えると、すごくいいアドバイスなんですけど。5年が過ぎたころ、1、2週間の短期で海外研修に行かせていただく機会があって、そのときに「自分はやっぱり井の中の蛙だ」と思い、「行きたい」と会社に言うと、休職を許していただけました。(聞き手 安東義隆)

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